≪ 不死鳥物語 ≫

〜 第13話:KDD同友会の解散に寄せて・・・国際通信史を総括 〜

遠藤栄造(2010年7月)

◆この度のKDD同友会だより(1-22号)により、同友会解散の日程が知らされ、何とも寂しい限りである。現会員1700余の各位にも 想いはそれぞれであろう。KDD/OBの親睦の場として同友会は活躍し、我らはその恩恵に預かってきた。背景として旧KDD本体から の手厚い支援があったことはご存知のとおり。更に親睦の場としては、傘下の同好会の活動が大きな役割を果たしていたことが特筆 されよう。因みに筆者は、友歩会やパソコンクラブ(k-unet)のお世話になっている。同友会解散後の同好会の在り方は、それぞれ 独自の道を歩むことになると思われるが、これまで同様に、我らの親睦の場として一層の活躍を期待したい。

ハイキング k-unet研修会
写真1:友歩会
雨にもめげず栃木蔵ノ街のハイキング:
関東のお伊勢様「神明宮」にもお参り〜1993年5月
写真2:パソコンクラブ
恒例の研修会風景(k-unet提供)

◆顧みれば我らOBは、戦後1953年4月に発足したKDDにおいてご縁あって共に働き、復興期の国際通信事業に携わった。特に新型海底 ケーブルや衛星通信システムの導入など、新時代を画する広帯域通信網を切り開いてきた、と云う共通の誇り・感慨があると思う。しかし KDDは、1980年代に始まった通信自由化競争の下で事業の生き残りを賭け、企業合従連衡の道を探り、遂に2000年10月、移動通信(IDO)と 共に第二電電(DDI)への合併を果たし、KDD会社自体は48年間、凡そ半世紀の社史を閉じた。そして事業そのものは現総合通信企業KDDIに 引き継がれ、一層の発展を見ていることは悦ばしい限りである。我らKDD/OBはKDDIの業容拡大、進化を楽しみに応援しているところである。
 何れにしろ同友会は、KDD時代の資産で今日まで頑張ってきたが、会員・資金共に先細りの状態で、いよいよ解散と云うことであろう。生む よりも後始末の方がご苦労である。同友会役員など関係各位に謝意を表するとともに、有終の美のご活躍をお祈りしたい。

◆同友会の解散でKDD時代は、さらに遠のくような気がする。本コラム・不死鳥物語では、ご覧のとおりKDD時代の革新的事業であった、衛星 システムや海底ケーブル等の導入にまつわるトッピクス・エピソード等を話題とし取り上げてきた。この機会にその歴史的流れを総括して振り 返って見たいと思う。
 そもそも電気通信と云う社会インフラが出現したのは、19世紀半ばに米人サミュエル・モールスが電信機の実用化に成功したことに始まると される。忽ち欧米各国に電信網が広まった。当然ながら多国間の電信事業には共通のルールが必要となり、1865年5月17日に万国電信条約 が締結され、同連合が発足した。現在の国際電気通信連合(ITU・本部ジュネーヴ)の前身である。因みに、先年ITU全権委員会議は、前記の 万国電信連合発足の5月17日を「電気通信記念日」と定めて毎年盛んな行事を行っている。近年は行事の内容を現代版に拡大して「世界情報 社会・電気通信デー」と銘打ち、日本でもこの記念日には、政府関係機関後援の下、日本ITU協会などが中心になって多彩な行事を繰り広げて いることは周知のとおり。

◆さて、欧米で急速に発展した電信網は、数年の遅れで我が国にも伸びてきた。我が国の国際通信の発祥となった、長崎−ウラジオストク間 海底電信ケーブルがデンマークの大北電信会社(GNTC)の手で敷設されたのが1871年のこと。幕末維新の革命期に西欧文化と直結して、 早馬飛脚時代の日本に大きなインパクトを与えた。以来幾多の変遷を経て国際通信は今日で凡そ一世紀半の歴史を刻んでいる。この歴史の 流れは、本コラムの話題としても触れているが、大雑把に総括して云えば;最初の半世紀が外国権益による電信ケーブル時代、次の半世紀 (戦前)が、国策としての無線通信網時代、そして戦後の半世紀が、丁度我らKDD/OBが携わってきた新型海底ケーブル・衛星通信システムに よる、大容量通信網建設時代と特徴付けることが出来よう。これにつながる現代の、コンピューターと通信の融合技術、いわゆるICT (Information & Communication Technologies)時代は、まさに「世界情報社会」の時代である。

◆歴史は繰り返すと云うが、進化を予測することは難しい。しかし、史実の積み重ねが今日の成果であることは間違いない。我らKDDは、 終戦直後の複雑な通信事業の再編成を経て1953年に設立を見た。この組織再編劇については、第11話に述へるので参照願いたいが、 要約すれば戦後の新体制は、国内事業をNTT公社・国際事業をKDD会社が分担してスタートしたことである。手続的には1952年の国会で、 NTT公社法とKDD会社法が同時に成立、即日施行で電気通信省を廃止し、NTTが設立(52年8月1日)された。 一方KDDは、会社設立準備 を経て53年4月1日に設立。NTTとKDDの事業範囲などは新たな「公衆電気通信法(53年施行)」に規定された。明治以来の「通信事業を国の 専掌とする原則(戦前の電信法)」を改変すると共に、特に国際通信を全面的に民営化にしたことが特筆される。KDDの発足は、設立準備や 法整備等の関係でNTTより9ヶ月遅れで分離された形であるが、実質的には戦前に活躍していた国際電気通信株式会社(終戦直後に解体)の 対外通信網施設(主に短波無線送受信所等)と政府直轄の運用部門(中央局施設等)および政府の管理部門を引き継いでKDDは発足し ている。つまり、国際通信では明治初めのGNTCによる海底電信ケーブル導入以来、民営方式が漸次育まれてKDDにつながったと見ることが 出来よう。なお、電気通信省の廃止に伴う、政府の監督機関としては、当時の郵政省に電気通信監理官室や電波監理局が設置された。

大手町ビル
<写真3:KDD東京局舎(旧・大手町ビル)
〜KDD設立時の突貫工事で1955年7月に竣工。
東京国際電信電話関門局・研究部・本社組織
などを収容した〜

◆上に述べるように、KDD時代の半世紀はまさに時代を画する展開を遂げて、今日のICT 時代につないできた。これを引き継いだKDDIは総合通信企業として、更に業容を拡大し つつ国内外のニーズに応え進化を続けている。先般のニュースによれば、KDDIは世界 ネットのハブ強化のため、米IT大手のグーグル社その他アジア関係企業と提携して日米 間に新たな高速大容量光ケーブル(UNITY)を追加建設して、我が国のデータセンターを 拡充した。また海外では、KDD時代に始まった「テレハウス」ブランドとして知られるデータ センターを世界主要都市にも拡大(現在、欧・米・アジア・南アの主要11都市に17センター を運営)し、海外支店・事業所(現在、25都市・87拠点)も拡充して、現地顧客のニーズに 応えていると云う。更にはアジア・アフリカ・南米などの途上国においてはICTによる新たな 通信インフラ事業を起こしており、世界企業としてのKDDIの躍進振りは心強い限りで ある。その中で旧KDDの遺産も進化していることは悦ばしい。
 電気通信事業は一世紀半前に発祥して以来、発展・進化を続け不死鳥のように今日に つながっている。我らKDDは戦後の復興・改革をKDDIに無事バトンタッチした。不死鳥の つながりは、企業としての変遷・変革があっても事業において途切れることはない。 蛇足的な話しになるが、われらKDD/OBの企業年金資産もKDDIに引き継がれて、今日 我らは滞りなくKDDI企業年金基金のお世話になっている。この関係で特筆されることは ご存知のとおりKDD最期の西本社長が引き継ぎに当たり、我らOBの年金給付に不都合 が生じないよう、特に年金資産の増額に配慮されたことである。有り難いバトンタッチで あった。今日の経済状況不安定な中で大手企業の年金支給額を巡る不協和音が騒が しい折り、KDDIは業績を順調に維持していることも幸いである。一層のご健闘をお祈り したい。

◆このような不死鳥のつながりを見るとき、同友会の解散に当たって、我らOBとKDDIとの 関係にも配慮頂ければ有り難いと思う。現在お世話になっているKDDIの企業年金基金や 共済会との関係については先刻ご存知のとおり。またKDDI/OB会との関係は良く存じ上げないが、この際何らかの配慮があってもと思うが、 如何?。
 これから我らが期待するのは、同好会の活躍。同友会の枠が外れて、独自の道を歩むことになろうが、OB同志の絆は大事にしたい。 この際、同友会の肝煎りで、同好会同志の横のつながり、例えばKDD/OB同好会連絡会のような形が出来れば、OB交流の輪が広がり、 新たな活動に発展するかも知れない。例えば、同好会間の持ち回りによる合同イベントの企画など、活動の多様化も期待される。 不死鳥のつながりは幅広く続けたい!? 
愚見!ご寛容のほどを・・・・・。

− 以上 −