四 季 雑 感 (14) 樫村 慶一 人間は齢八十も過ぎようという言う頃になると、暴力は別として、世の中に怖いものがなくなってくる。特に、口から出る”言葉”については、それまでの”生き様”から自然に形成された自分だけの哲学のようなものに裏付けられ、他人に何と言われようとも、俺はこう思う ”文句あるか” といった頑固さが表に出てちっとも怖くなくなる。それどころか、他人のことに逆に口を出したくなるから厄介である。 つい最近、ワインに関する新刊雑誌が二種類発行された。いずれも綺麗なカラー写真が沢山掲載されていて見てくれは楽しい本であるが、中味に重大は欠陥があった。それは、アルゼンチンワインについて、一つは全く記事がなく無視しているし、もう一つの方は韓国や中国などと一緒にされ”その他のワイン”として扱われていることである。本屋の店頭で立ち読みして中味を見たとき、怒りが一遍に頭にきた。私はアルゼンチンに馴染みが深いので、あの国を身びいきすることはあるが、世間一般でもアルゼンチンと言えば、タンゴ、サッカー、ワインとくるのが大方の常識だと思う。アルゼンチンワインを知らないでワインの本を書くなんて、執筆者が自らの無知をさらけだし、編集担当者もそれに気が付かないと言う、二重の過ちを犯している。2社に対してアルゼンチンワインの名誉と誇りのために断固として抗議した。すぐに返事がきた。 どちらも文面は平身低頭と言う感じであるが、本心はどうなのかは分からない。後者の、”その他のワイン”には、中国、メキシコ、エジプト、ペルー、韓国などの国が入っている。葡萄は地球の南北緯度20度〜40度の間ならどこでもできる。そもそもは、猿が食べ残した葡萄を木の洞においておいたのが自然に発酵してワインになったのを人間が発見したという説が有力である。自分たちだけで飲むために醸っているような国々とアルゼンチンを一緒にするのは、あかたも、稀勢の里と序の口か序二段の力士が相撲をとるようなものだ。失礼も甚だしい。この他にも、全く違う意味の言葉が書いてあるラベルを、無理にタンゴと読ませて情熱的なワインだと宣伝する商魂たくましい業者もいる。これにも理屈が合わないことを指摘した。こうした出来事は年寄りの一徹といわれればそうかもしれない。妻にはしょっちゅうたしなめられているが、咽喉元まで出かかった言葉は出してしまわないと納まらないのは、どなたも経験があろう。出してしまうか、ぐっと飲み込んで納めてしまうかがストレスになるかならないかの境目で、ストレスにならないようにできる人は長生すると思う。 閑話休題 北アフリカが騒がしい。チュニジアから始まった反政府行動がエジプト、リビア、アラビア半島の王国へと波及している。北アフリカはなんとなく政治が安定し、世界の騒音からかけ離れているような感じがしていたが、やっぱり何かがあった。そうゆう意味では、私は国民の本質を他の国よりは多少は知っているつもりの中南米諸国の方が、今の現状だとやっぱり、アフリカや中央アジアの旧ソ連領や、東南アジア諸国よりは安定しているように思える。その理由は、上記の地域や国々よりも形の上では民主化が進んでいるからである。キューバを除いてみな共和国である。たとえば過激な反米行動をとるベネスエラだって、ちゃんと選挙で選ばれた大統領だし独裁ではない、ボリビアもまたしかりである。中南米の国々の首長は皆選挙で選ばれている。イスラムの王様達のように、国は俺の物だなんて威張っている国はない。民主主義に対する民度から言ったら南米とアフリカとは数十年以上も違うかもしれない。 北アフリカ、この言葉を聞いたとき、行ったことがある人には強い思い出が甦り、行ったことがない人達も、なんとなくロマンのあふれた郷愁のようなものを感じるのではないだろうか。それはそのはずで、人それぞれに、紀元前にフェニキア人の都市国家カルタゴの英雄ハンニバルが活躍した第二次ポエニ戦争を・・・、またある人は、2000年を経た1942年(昭和17年)製作の映画「カサブランカ」で、ハンブリーボガートがバーバリーのトレンチコートの襟を立て、イングリット・バーグマンを抱き寄せルシーンを・・・・、またある人は、古い歌手エト・国枝が歌う”カスバの女”を聞いて、白いカンカン帽をかぶった格好い外人部隊が活躍する場面を・・・、そして、第二次大戦に、砂漠の狐と言われたドイツのロンメル機甲軍団が、イギリス、フランス軍を相手に北アフリカのサハラ砂漠を縦横無尽に暴れ回った話を・・・、また別の人は、同時代の話で、小説「星の王子様」の作者サン・テグジュペリが砂漠に不時着しこの小説の構想を練った話を・・・、さらに戦後の話題では、フランス、スペイン、ポルトガルそして北アフリカの15か国以上を回るパリ〜ダカール・ラリー(2009年からアルゼンチンとチリl両国に舞台が変わった)の危険で勇ましい話を・・・想うからではないだろうか。 ことほど左様に北アフリカ地方には話題が多い。私は、アフリカには一度も行ったことがないが (スペインへ旅したとき、たまたま天気の良い日にアフリカ大陸を遠望したことがあるだけである) 上記のことから、なんとなく北アフリカという地域に、憧れにも似たような感情を掻き立てられて仕方がない。今の現状を考えたとき不謹慎のそしりをまぬかれないかもしれないが。でも多くの日本人にとっては、今まではその程度の知識だったのではないだろうか。改めてそれぞれの国民の苦しみ、悩みに同情し認識を改める良い機会ではなかと思う。そして、その民衆のエネルギーの基になるウイルスがアジア大陸に飛び火し、いつか発症するかもしれない可能性を期待したいものである。 おわり (2011.2.28 記) |