筆者はインテルサットの技術職員として1971年1月からワシントンDCのコムサットに派遣され、研究活動に 従事する機会を得てこのほど帰国した。コムサットは独自の国内衛星通信網の建設に当ると共に、 インテルサット恒久協定発足後も契約ベースでその事務局の役割を果たしている。本社は衛星ネットワーク のオペレーションセンターと共に、首都ワシントンにおかれているが、研究所はその北西約40kmの メリーランド州クラークスバーグにある。世界の政治の中心から車でわずか40分程のここでは牛がのどかに草を食み、 ひばりが空高くさえずっている。
研究所の建物は, 広大な敷地にインターステート・ハイウエイ70Sに沿って建てられた斬新なもので、 1969年、Progressive Architectureのデザイン賞をもらった建築界では著名なものであるらしい。 ここに約150人の技衛者と200人の支援スタッフが働いていた。各研究者はそれぞれ個室を与えられており 、設備も整った恵まれた研究所である。2年間の滞在期間中、多くの仲間達と議論を交わし、時に飲みながら 語り合った。 以下コムサットでの研究生活をふり返り、思い出すまま彼等の横顔からみたアメリカの印象とでもいうもの を記すこととしよう。
筆者はKDD研究所において、グロ−バルビーム用アンテナとして、直交偏波による周波数再利用に最適な 誘電体装荷ホーンアンテナを開発していた。これは今思えばまことに時宜を得た研究で、言葉も不自由な外国 での研究生活を始めるには恰好な足掛りとなった。やがてこのアンテナは予想通り優れた特性をもつことが立証され、 このアンテナはV号衛星用アンテナの1つの候補となった。 (後日談であるが、このアンテナはW-A衛星2基に搭載されると共に、その後多数のVI号衛星に搭載され 、時にSatoh Hornと呼ばれた。)
さて、コムサットのエンジニアは実によく働きよく勉強したが、終業時間がくれば “Time to go home.” と言いながら帰って行く。ひとり残って仕事を続けていると、エンジニァのBob Gruner君に、 ”Hold down the fort!” とからかわれたものだ。「ひとり孤塁を守れよ」というわけか。 勤務時聞は9時から5時半までとされていたがこれは全く自由で、朝遅い代りに夕方いつまでも Fortを守っていたDan DiFonzoのチヨビひげ面も今は懐かしい。
隔週の金曜日は彼らの給料日である。ペイ・チェックをもらってニコニコと”Why don't we go out to eat ?” である。 8マイルほど離れたゲイサスバーグ村までステーキサンドイッチを食ベに行こうというわけだ。 カチカチに凍ったグラスに注いでくれた「クリスの店」の生ビールはいつもうまかった。
Billと言えば、6人のエンジニアの内3人まで名前がWilliamつまりBillだったからややこしい。 これは日本で言えば太郎に当たるような名前なのであろう。まず着任早々の挨拶で研究室長の Bill Kreutel氏に ”Mr. Kreutel.” と呼びかけたら、このわがBossはすぐさま "Call me Bill.” と言ったもので、Mr. を付けるのは極めてformalな場合に限られるということを知らされた。 おかげで筆者のことなどもBarbaraが電話に出てくれる時に “Mr. Satoh's office, may I help you ?” と言ってくれる位のもので、ToshioとかToshio あるいは単にToshと呼ばれたものである(注:赤い部分 にアクセントがある)。研究部長のMr. Louis Pollackに対しても“Hi, Louis”(ハーイ、ルー) だから便利なものである。アメリカ人は誰をつかまえてもinformalだと思うが、このような名前の呼び方 にもその一因があるのだろうか。
“Hi” は実に便利な言葉で、目の合った人には誰でも “Hi” である。向こうから美女がやつてきたな と思っていると “Hi” とニッコリされるから、始めのうちは多少気があるのかななどとつい考えさせられた ものだが、実はとんでもない。もうひとつ、日本でついぞ聞いたことのなかった挨拶が ”How are you doing ? “ である。”How are you ? “ の代りに、もっとくだけた調子で使われる。相棒のDanにしろRonにしろ、いつも "How are you doing, Tosh ?” とくる。返事はどうやら "OK” でも ”Pretty good.” でも良いらしい。 学校では教えてくれなかったAmerican EngIishである。
さてプロ野球はアメリカでは人気ガタ落ちであるが、フットボールはまさしく熱狂的人気をもっている。
昨シーズンは、ワシントンのチームRedskins がプレイオフに進出し、マイアミのDolphinsと覇を争ったことも
それに拍車をかけたようだ。TSS(注)端末を使ってアンテナ指向性の計算結果を打ち出している最中に、
"GO REDSKINS" (=それ行け、レッドスキンズ)などというメッセージを割り込んで送ってくる奴がおり、
折角の美しい計算結果が台無しになったこともあったが、そういえば今夜はゲームだなと憎めない。とに角、
雨が降ろうが雪が降ろうが(断っておくが、シーズンは冬である)中止せず、スタンドは常に超満員である。
スピードと荒っぼさとがその魅力の中心であるが、各チームのクォーターバックは、子供達の絶対のアイドル
となっている。
(注) TSS=Time Sharing System: コンピュータルームにあるIBM-360に
各研究室からアクセスできる台車付きの移動入力装置
滞在中に札幌オリンピックがあった。言わずと知れた衛星中継で久しぶりに日本人達の生活風景を見せて
もらったが、何やらくすぐったい感じがしたものだ。ミュンヘンオリンピックも楽しめたが、ニクソン大統領
の訪中、訪ソ、また田中首相の訪中と、テレビの国際中継は遺憾なくその威力を発揮した。
コムサットはこの機を逃さず、テレビに新聞に、
筆者の帰国を惜しんで、研究室の全員が大枚はたいて、一夕、盛大な送別会を催してくれた。実に陽気に騒ぎ、 生真面目に働いたあの愉快な仲間達は、皆 "I'll miss you, Tosh.” と別れを惜しんでくれた。 世界は案外狭いもの。またいつの日か世界のどこかで彼らと会うこともあるであろう。その時こそ "How are you doing ?" と言って握手せねばなるまい。